※ 本記事について: 観戦を楽しむための見どころ整理を目的とした個人的なコラムです。賭け事の判断材料としての利用は意図していません。

シティにとって、この試合の難しさは相手のアストン・ヴィラにあるのではない。自分たちのコントロールできない場所に、優勝の鍵があるという点にある。

勝点77。首位アーセナルとの差は2。シティが最終節で勝っても、アーセナルがパレス戦で引き分け以上の結果を出せば、優勝はアーセナルのものだ。つまりシティは、自分たちが勝つことを大前提とした上で、150キロ離れたセルハースト・パークでアーセナルが転ぶことを祈るしかない。サッカーで一番もどかしい状況——「自力では決められない」立場で、シティはエティハドのピッチに立つ。

ホームのシティは、相変わらず異常に強い

シティのホーム成績を見ると、改めてこのチームの地力に驚く。14勝3分1敗。ホームでの黒星はシーズンを通してたった1つだ。エティハドで44得点を奪い、失点はわずか12。1試合あたりの失点が1点を切る。優勝を逃すかもしれないとはいえ、ホームでの強さに関しては文句のつけようがない。

だから「シティが勝つ」という部分については、私はあまり心配していない。問題はその先だ。シティが2-0、3-0と快勝しても、セルハースト・パークでアーセナルが1点取って逃げ切れば、すべては無駄になる。勝っても優勝できないかもしれない試合を90分間戦い続ける——この精神状態が、いつものシティの流麗なパス回しにどう影響するか。そこに今日の見どころがある。

ヴィラは「消化試合」ではない

相手のアストン・ヴィラを、私は侮れないと思っている。理由は二つ。

一つは、ヴィラがCL出場権争いの当事者だということ。第37節でリヴァプールを4-2で破ったことで(この試合は振り返り記事に書いた)、ヴィラはCL圏に大きく近づいた。最終節で勝点を積めば、CL出場が確定的になる。つまりヴィラにも、この試合を本気で戦う十分な動機がある。

もう一つは、今季の開幕節を思い出すからだ。シーズン序盤、ヴィラはホームでシティを1-0で破っている。あの時のヴィラと、リヴァプールを4-2で粉砕した今のヴィラ。アウェイでは6勝6分6敗とムラがあるチームだが、勢いに乗ったときの攻撃力は本物だ。エティハドという最高の舞台で、ヴィラが何かを起こす可能性はゼロではない。

「自力優勝ではない」ことのもどかしさ

自分たちの結果だけで完結しない優勝争いというのは、選手にとっても観客にとっても独特のストレスを生む。シティが90分間、目の前の試合に集中しながらも、頭のどこかで150キロ先のスコアを気にせずにいられるか。私はこの「意識の分散」こそが、今日のシティにとって最大の敵だと思っている。ボールを支配し、パスを回しているように見えても、決定的な場面で一瞬の判断が鈍る——そういう試合を、優勝争いの最終節では何度も見てきた。

最終節というのは、こういうことが起きる舞台だ

プレミアリーグの最終節には、頭では分かっていても信じがたい瞬間が起きることがある。優勝を諦めかけたところから、アディショナルタイムの一撃で全てがひっくり返る——そういう劇的な巡り合わせが、このリーグの歴史には確かに刻まれてきた。もちろん今日のシティが同じような筋書きを必要としているわけではない。シティにできることは、目の前のヴィラ戦を90分きっちり勝ち切ることだけだ。ただ、そういう「何が起きるか分からない」という最終節特有の空気を知っているからこそ、私はシティの選手たちに「あきらめず、自分たちの仕事をやり切ってほしい」という気持ちで見てしまう。結果がどう転ぼうと、自力でコントロールできる範囲を全うした先にしか、奇跡が舞い込む余地はない。

数字と、その先にあるもの

期待得点を計算しても、ホームのシティがはっきり上回る数字が出るだけだ。繰り返すが、問題はそこではない。

私がこの試合で本当に見たいのは、シティの選手たちの「耳」だ。最終節は全試合同時キックオフ。セルハースト・パークでアーセナルが先制すれば、エティハドのシティサポーターは沈黙する。逆にパレスが先制すれば、エティハドは突然のお祭り騒ぎになる。そのスタンドの空気の変化を、ピッチ上の選手はリアルタイムで感じ取る。優勝の可能性が、自分たちのプレーとは無関係なところで上下する90分。この異様な緊張感こそ、最終節同時キックオフの醍醐味だ。

正直なところ、私はアーセナルがそのまま逃げ切って、シティの勝利が報われない——そんなほろ苦い結末になる可能性が高いと見ている。だが、もしパレスがアーセナルから勝点を奪い、その情報がエティハドに伝わった瞬間にシティの選手のギアが一段上がったら。そのとき、このスタジアムは今季最高の劇場になる。サッカーのシーズンが、最後の最後まで何が起こるか分からないものであってほしい——観戦者としては、そう願わずにいられない。